概要
- ドキュメントやエッセイ執筆 は、問いを立てて答える行為
- LLM生成文書 の増加に対する懸念
- 自分で書くこと の思考深化と信頼構築の重要性
- LLMの適切な利用法 と活用範囲の提案
- 思慮深さの向上 が今後ますます重要
ドキュメント執筆と問いの重要性
- ドキュメントやエッセイ は、常に問いを立ててそれに答えるプロセス
- 例: PRD は「何を作るべきか?」への答え
- 技術仕様書 は「どう作るべきか?」への答え
- 時には「そもそも何を達成したいのか?」のような難解な問いも存在
- 問いに答える過程 で、常に自分が正しい問いを立てているか内省
- LLM(大規模言語モデル) の登場により、LLM生成文書が急増
LLM生成文書への懸念
- LLMによる自動生成文書 は、思考や信頼構築の機会損失
- 執筆の本質 は「書くこと」ではなく「自分と周囲の理解を深めること」
- 書くことで、混沌から構造と理解を導き出す体験
- 執筆は筋トレと同じ で、困難な課題に取り組むほど成長
- LLMに執筆を任せる のは、他人に筋トレを代行させるようなもの
信頼構築とLLM
- LLM生成文書 には社会的な副作用も存在
- LLMらしさの残る文書を送ると、受け手は「他人が求めるものをLLMが出力しただけ」と感じる
- 自分の思考と向き合った証拠 が見えず、リーダーシップや信頼性を損なう
- LLM生成文書 は、執筆だけでなく思考のオリジナリティも疑われるリスク
- 自分で書くこと が信頼と信用を築く絶好の機会
LLMの活用方法
- LLMはリサーチや校正、情報記録や文字起こしには有用
- これらは「エッセイ執筆」とは異なる活動
- アイデア出し には特に有効
- 10個中1つが有用であれば十分価値あり
- ソフトウェア開発の効率向上 にも貢献
- 最大限活用するには、同時に思慮深さも高める必要
思考の深化と今後のあり方
- LLMの進化 で効率は上がるが、 人間の思考力や信頼性 がますます重要
- 自分で問い、考え、書くプロセス を重視する姿勢
- LLMは道具 として活用しつつも、最終的なアウトプットには自分自身の思考を反映させる重要性
自分にとって価値がないことや、コアミッションに関係ないことは外注しよう。自分にとって価値があることや、コアミッションに関わることは自分でやるべきだよ。これはビジネスレベルでも当てはまる(例えば、ほとんどのソフトウェア会社はフルタイムの経理担当者を雇う必要はないよね)。でも、AIの時代ではさらに重要だと思う。俺はLLMを使って、つまらないコードを書くのを手伝ってもらってる。CDKを書くのは嫌だし、何度も書いた同じボイラープレートのHTMLやJSをまた書きたくないから、そいつらにやってもらう。だけど、俺がやってることのコアに関わるものを実装しようとするときは、もっと自分が関与したいんだ。文章を書くときも同じだね。ライティングの業界には、「ほとんどの人は、書くプロセスよりも出版された著者になりたいと思っている」という古いジョークがある。書きたいと言う人は、実際には書く作業をしたいわけじゃなくて、カクテルパーティや自分の名前が書店や図書館に並ぶのを見たいだけなんだ。LLMはそれをより実現可能にしてくれるけど、ちょっと変な代償がある。俺が書くのは、考えたいからなんだ。LLMを使ってアイデアを出すときも、思考を改善するために使ってる。出力された生のテキストは他の人に渡したいものじゃないけど、考え方を変えたり、文法チェックや軽い編集作業に役立つことはある。コアの思考は決して外注しない。フィクションを書くときも、プロットやキャラクターの発展、対話の展開、シーンの順序などのプロセスを楽しんでる。なんでそれを外注したいんだ?読者が興味を持つのは、俺が伝えようとしているものじゃないのか?アートは、アーティストが言おうとしていることと、観客が受け取ろうとしていることの間に生きている。LLMが関わることでそれが壊れちゃうんだよね。だから、コーディング、技術的なライティング、ノンフィクション、フィクション、何でもそうだけど、LLMを使ってるなら、諦めて「これには興味ない」と言ってることになる。それがOKなら、それを意識して受け入れて、最初から話しておくべきだよ。